投稿日:2012年1月13日
診察室の棚の上にそっと置いてある、ちょっと変わった石。
ひょっとしたら、見かけて不審に思われた方もいらっしゃるかも知れません。
砂漠の薔薇(デザートローズ)
砂漠のオアシスが消えていく時に、水に溶けていた硫酸カルシウムなどの成分がバラの花状に結晶化したものだそうです。
5年前にOさんからいただいた海外旅行のお土産です。
確かトルコからチュニジアなどサハラ砂漠北部を旅行した際のものだと記憶しています。
彼女は僕の知らない外国のことを、診察の合間によく話してくれました。
Oさんに初めて会ったのは、2004年12月のこと。僕はまだ大学勤務でした。
幸い早期乳がんで、翌年1月に乳房温存術を行いました。
術前、自分でも乳がん手術のことを調べたと言って、ある雑誌を持ってきました。
「先生、これ読んでみて」
海外生活が長かったせいなのか、話し口調はいつもぶっきらぼうでしたが、それが逆に親しみを感じさせる、独特の雰囲気を持つチャーミングな女性でした。
手渡された雑誌は、1993年8月のニューヨークタイムズ誌。
表紙には、乳房を残すことが可能だったにも関わらず乳房切除された女性写真家の写真が。
ーYou can't look away anymore(あなたはもう、目をそらすことはできない)
世の女性に乳房温存療法の存在を知らしめると同時に、百年一日の乳房切除術を漫然と行なっている外科医に警告を与える内容でした。
いつにも増して気を引き締めて手術に臨んだことを憶えています。
それから2ケ月後に僕は大学を辞めましたが、彼女は引き続き僕の外来に通院していました。
新しい勤務先で乳がん患者会を立ち上げ啓発運動にも関わり始めた頃、彼女が一枚の写真を持ってきました。
「アラスカに行ってきたんだけど、おもしろい光景を目にしたから撮ってみたの。はい、あげる」
写真に写っていたのは、犬ぞりレースを応援しながらピンクリボン啓発運動をしていた女性達の姿でした。
海外のピンクリボン運動って、地域の中で想像以上に明るく賑やかに行われているんだと思いました。
その後彼女は患者会の集まりにも積極的に参加してくれるようになりました。
しかし、術後2年を過ぎた2007年のこと。
定期検査を行ったところ、偶然、膵臓に1cmの腫瘤が見つかりました。
にわかには信じがたい事実でしたが、膵がんでした。
乳がんとは全く関係ない、原発性膵がん。
彼女はこの時も自ら膵がんについてすごく詳しく調べ、海外の友達にも相談していました。
結局は大学病院で大手術を受けたのですが、難治がんである膵がんは術後すぐに再発しました。
再発後はがんの痛みとの闘いでした。
大学のペイン外来と僕の外来への通院の日々。
なかなか痛みがとれず、時折弱音を洩らしていましたが、そんな時でも周りを気遣いユーモアを忘れない人でした。
ちょうど4年前の今日、ご家族に看取られながら他界されました。
享年58歳。
忘れられない患者さんの一人です。
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